「観念の世界」

〜6、理由。


現実にあるものでもなく、あるいは意識の中で知っているものでもなくて、それ以前の肉体の感覚そのものの記憶として、呼び覚(さ)まされているのである。それは無意識の、意識の届かない世界なのである。自分自身の根源的な衝動、または本能とでもいったものである。

言葉や意識以前の感覚だけが知る、「感覚」そのものの世界なのである。現実世界に対する意識が成立する以前の、根源的な衝動の世界なのである。自分自身の存在の根拠となっている淵源(えんげん)なのである。魂(たましい)と言ってもよい。

そうしたことが、影やシルエットとなって見えてくるのである。または、それが「見えた」と思えてくるのである。だから、こうしたことは、すこぶる正常な感覚なのであって、大事なことは、自分自身がそれに答えて行かなければならない、ということなのである。

すなわち、自分自身というのが強く問われ、そして求められているのである。どのように生き、そして、自分というのを理由づけて行くかである。自分自身の存在理由、自意識・自己認識が問われているのである。

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