「観念の世界」
〜5、ズレ。
それは、あるはずのものであって、しかし、現実には無いものなのである。だから、強い思い込みや執着もあって、ものカゲや暗がりの中で何かを見たと思えてくるのである。 例えば、カゲロウや蜃気楼、屈折や反射する光の影、あるいは、まばゆい光の中で見ている。あるいは、吹雪や風の歪みや軋(きし)み、そしてその奥から聞こえて来る風のつぶやき。そうした、草木が集まって揺れてたわむ情景の中に何かを見ている。あるいはまた、薄ぼんやりしていて、影のない月夜の世界もそうである。 薄れゆく意識の奥で何かを感じ、そして見ている。見ているのは、同じものを見ているのに、何か別の世界からそれを見ているのである。自分自身の無意識の世界で「見た」と思えて来るのである。それとも、忘れていた何かを思い出しているのである。 それはある意味で、祖先の記憶なのである。現実とのズレが異和感として、感覚の未知の領域として映し出されているのである。感覚のリズムや生理作用、神経の言い知れぬノイズとして聞こえてくるのである。そしてそれが、何かを「見た」と思わせているのである。あるいは、感覚がそれ自体で、何かしらの原因不明の「条件反射」を繰り返しているのである。そうやって、いまは忘れられている祖先の記憶を見ているのである。 |