「必然性」
〜1、表明。
人間が何かを感じることができるという意味では、見るだけでなく、聞く、触れる、臭(にお)うなどがある。しかし、ホントにそれだけなのだろうか? 人間は自分と関係するものだけを知り得るのであって、それ以外のものについては知りようがないのである。 「知らない」というのは、もともと何も無いから知らないとも言えるし、なにか有るのに、人間にはそれが感じられないから知らないとも言えるのである。しかし、それ以前にもとから何も無いということ自体が、「無い」ということを示すもので、「無い」とは、何もないものがそこに「有る」ということである。「無い」とは、それ自体が無いものとして、そこに存在していると言えないだろうか? というように、こうした考えはたいした意味はないのであって、だからまた、人間は自分と関係するものしか相手にしないのである。それ以外のものについては、感じることも、知ることもなく、また、知りようもないのである。もともと人間はそのように出来ているのである。知ったり感じたりする方法がないのである。そういうものとの係わりそのものが、人間にはないのである。人間が何かを知ることが出来るのは、何らかの自分との係わりの中においてであって、そしてまた反面、人間にとってはそれで十分であり、それ以上のことは知る必要もなく、知ることもなく、知る方法もないのである。 そうやって人間というのが作られているのである。それが人間というものであって、他のものと区別される人間のカタチ、しるし、すがたなのである。目に見える外形だけでなく、それが意味する生き方や感じ方を表明しているのである。 |