「感覚の内的反射」
〜3、内省的。
たとえば、同じ気温であっても秋の方が春よりも乾燥している。気温が同じでも、秋の世界は春とはまったく対照的なのである。春をめざめと再生に例えるならば、秋は終息と解体の始まりと言える。 春が目指した生命の充満と上昇が、秋に限界に達して下降し始める。解体し終息を目指してすでに動き始めているのである。だから何か、何となしに気が滅入ってくるのである。やるせなく、居たたまれなくなって、心が内向きになってくるのである。 それは、もはやどうしても逆らうことの出来ない四季のめぐり合わせであり、それに伴う心の移ろいなのである。それはもはや、春のような張り詰めた空気ではなく、気が滅入るような緩(ゆる)みっぱなしの、どうでもよい、なるようにしかならない、どうにもならない、そうしたあきらめと、沈潜して行くような内向的な世界なのである。 世界から光のコントラストが弱くなって、影が薄くなり、輪郭に奥行きがなく、ノッペリとした平板な感じになってゆく。この世界を彩(いろど)った様々な鮮やかな色が消えていって、弱く、そして生彩を欠いてくすんだ、まるでモノトーン(白と黒)のような、内面的な、自己の記憶の世界を見るような感じになって来る。夏の外向的で行動的な世界から、冬の潜在的で内省的な世界へと移って行く。 |