「外面」
〜2、魂(たましい)。
しかし、それがもっとも手間いらずで出世のコツでもあるし、だれとでも仲良くやって行ける方法なのである。そしてだれも深く考えないし、まして、自分自身に問いかけるようなことはしないのである。またそうした必要もないのである。それは、してはならないことなのである。 何もかもわかっていることなのだから、あとはただ何も考えずに行動するだけなのである。そうやって世の中がうまく、とどこうりなく進んでゆくのである。そして、こうした状態が外面的で形式的だというのである。 こうした状態は、表面をただ撫(な)でるだけの形式だけで、中身はどうでもよいのであって、誰にでも簡単にマネしてこなして行けるし、分かりやすいし、そしてだれがやっても同じことしか出来ない。個性が消えて均質な、誰にとっても扱いやすくわかりやすいものとなっている。 中身がぼやけて薄れて曖昧で、わけのわからないどうでもよいものとなっていて、限りなく無意味なものとなっている。無意味だからよいのである。何も考えることも、悩むこともしないで済むのである。無意味でなければならないのである。 形式から中身が消えて、その意味するところが失われて、まるで、なにかのヌケガラのようになっている。形式がもともと持っていた、その魂(たましい)といったものが無くなっている。外面的で形式的だというのはこのことなのである。 |