「外面」
〜3、叫び。
自分自身というのがどこかで見失われている。そして、そんなわずらわしいことを考えなくても生きて行けるように世の中が出来ている。むしろ、そんなことは考えない方がうまくやって行けるのである。 このような個人の内面性や個性にわずらわされることなく、目に見える客観的なカタチだけで成り立っている社会、言い換えると、学歴や資格、履歴書だけが一人歩きして、個人というのが一律に型にハメられて、それにレッテルを貼られてしまう。そしてそれだけが、すべてになってしまう。 内面性や個性、人間精神といったものが訳のわからないもの、無意味などうでもよいものとして捨てられてゆく。というよりも、むしろ、そうした精神性までが細かく仕訳され、カテゴリー化され、均質化・規格化されレッテルを貼られてゆく。 自分にしかないもの、自分だけのもの、自分が自分であることの証明といったものが忘れられ、際限なく見失われて行く。自分にとっての最も重要な問題意識が消えている。自分の存在の「理由」といったものが忘れられている。 はたして自分が誰だったのかを忘れてしまっていて、わからなくなって思い出せなくなっている。精神の拠りどころ、自分の生命力の出て来たところ、自己の魂を引き裂く叫びといったものが、聞こえなくなっている。これでは、はたして人間と言えるのだろうか。 |