「かべ」

〜4、知る場面。


それは、心情とか、あるいは、相手の存在しない自己感情とでもいったものである。自然と一体となって、いまだ自然から抜け出ることが出来ないでいる、そうした自分自身の情緒とでもいったものである。これらが自分の中で、自分の中にあって自分でない、そうしたとらえどころのない自分でもわからない部分、自分のなかにある自己の未知で異質な世界を映し出しているのである。

自分の中の見知らぬ所で何かが目ざめているのである。導かれ、求め、誘われて。あるいは、それに反発し逃げ出すように。あるいはまた、そこから追放されるように・・・。

どうにもならず、そこから出てゆくしかないのである。もともとここに自分の居場所などなく、またどこかへ逃れて行く場所もなく、あるいは、いわゆる「選択枝」などあるはずもなく、ただたんに出て行くという以外に方法がなかったのである。

本能とか衝動といったものかも知れない。つぶやき、ささやき、そして何かに導かれ誘われて自らを明らかにしようとしている。いまだ自分でもそれが何なのかわからないのであるが、それが何かを示していて、自分が何であるかをあらわにしようとしているのである。

自分はだれで、自分はいったい何なのか、自分で自分を知り、自分を開き、自分を露(あら)わにしようとしている。だがそれは正に、自分が自分を知るという場面ではないだろうか。

もどる。             つづく。