「自律」

〜5、違和感。


そして、前にも言ったことであるが、こうした感覚の、そしてまた感覚の感じ方の、いったいどこからどこまでが自分の感覚で、それとも他者の感覚なのかというのが、自分でも識別できないでいるのである。あいまいで混沌としていて、入り乱れて、錯綜しているのである。それに、人間は他人にすがりたがるのである。

だからまた、不思議な違和感に苛(さいな)まれたりするのである。それは視覚や触覚といった感覚器官だけでなく、その感じ方やセンス、情緒や感情についても言えることなのである。知らぬ間に、気づかないままで、自分が他人によって支配され、誘導され、仕組まれ、作られているのである。どれが自分なのかわからなくなっているのである。

たしかに世の中には変わった人間がいる。善いとか悪いとか言うのではなくて、とにかく変わってるのである。まわりのみんなと違うのである。身体の動きや立居振舞、しぐさ、身振り素振り、それに顔の表情や感情の表れ方といったものが、どこか周りのみんなと違うのである。

こういう人間は印象にも残るし、目立ちもするし、なにかにつけて得したり損したり、まわりがそのように見るのである。つまり、そういう人間は、何を考えているのかわからない、訳のわからない人間として見られているのである。

もどる。             つづく。