「異人種」

〜9、感じ方だけ。


生きている人間が、現実の世界の中でなにかを感じ、あるいは印象し、それを無意識の世界で整理・分類し、何か意味のある記憶の断片としてのこしてゆくとき、それは現実の相手も対象も存在せず、意識もされない、無意識の気ままな、気まぐれでコロコロと変わり、移っては変化してゆく。そうした、なんら基準も根拠も曖昧なままの、思い込みだけの世界だということである。

しかし、ここでもう一度よくよく考えてみなければならない。このような対象が不在の、自分だけの無意識な思い込みの世界にあって、いったい何を「基準」に、こうした思い込みや気まぐれが成り立ち得るのか、ということである。

それは意識などではない、それ以前の意識される前の「感覚」の世界である。情緒や感性だけの、閉じた感覚の、内的な「感じ方」だけの世界だということである。だからたとえば何かを「感じている」としても、それは対象が不在で現実とはいかなる接点もない、純粋に「感じ方」だけの世界だということである。

もどる。             つづく。