「さまようタマシイ」
〜1、アレルギー。
遠くから麗(うるわ)しく優しげな女が近づいてくる。胸がときめき、うれしくなってきて、心がはずむ。近くまで来てよく見ると「男」だった。バストのふくらみがない、髪の毛のセットもどこかチグハグで、何よりも目の中の色が違う、輝き方が違う。意志的で、衝動的で、そしてやや暴力的なのである。情緒よりも感情、感情よりも意志が先に入り込んでくるような、そんな「色」である。 肌の色つやも潤いに満ちてなめらかではあるが、やはりどこか違う。優しくつつみ込むようなそんな色ではないのである。鋭く刺してきて貫くような、そんな意志的で非妥協的な光の色つやなのである。なめらかというのが、他人をよせつけないようなそんな色なのである。僕が男だからそう感じるのかも知れない。それは僕自身の感覚の傾向といったもので、そうした傾向といたものは誰にもあるもので、むしろ、それが普通ではないだろうか。ちょうど女の顔をした男がいるように。 にもかかわらず、顔だちは優しく理知的で、どう見てもやはり美しいとしか言いようがないのである。これはいったいどうしたことなのだろう。自分でもわけがわからなくなるのである。自分自身に対しても、相手に対しても、とまどい迷ってしまうのである。 女の顔をした「男」、「女」の心理と情緒と気持ちを持った「男」、女の精神を持つ「男」の肉体、そしてその正体。精神と肉体、観念と現実との限りない修復不可能な分裂と倒錯。たしかに、それと気づいたときキモチ悪くて、ゲーゲーしそうになる。 これは理屈ぬきの生理的なものである。自分ではどうにもならないアレルギーみたいなものである。もちろん、それはもしかすると偏見なのかも知れないが、僕にだって、それと気づくことなく固定観念となってしまったシキタリや習慣の偏見もあって当然で、それが偏見であると言われても少しもおかしくないのである。 |