「さまようタマシイ」
〜2、美しい。
しかし、正直に言わなければならない。美しいのは、やはり美しいのだと。世界中のだれもが反対しても、自分が美しいと感じたのであれば、やはり「美しい」と言わなければならない。しかし、それはいったい何のことなのだろう? いったい何を見て僕は美しいと感じたのだろうか。それが、そのわけというのが、わからなくなるのである。自分でもわからないのである。 女の顔という外見(がいけん)から、僕はたぶん、なにか別のものを見ているのだ。現実の目の前の女とは別の何かを感じて連想し、そして現実の女とは別のものを見ているのだ。妄想は一人ごとでもあって夢の中の世界である。夢の中に相手がいて初めてストーリーになり物語となって記憶にのこるのである。予感し暗示され、そしてそれが現実の出来事のように現れて来なければならないのである。 女のすがたカタチ、そしてその表情が、僕にはそれとは何か別のものを象徴し暗示させているのである。空想の世界を生き、そして空想の世界を夢見ているのである。しかし、この別のものとは何か? 実は、それが何かが分からずに、もどかしくイラつき、しゃくにさわり悩んでしまうのである。 それが何かは分からないけれども、他の言い方をすると、それは僕にとっての祈りであり、願いであり、そしてまた求め望んだものなのである。そうした、自分にとって深く信じるものを、女の顔にその象徴として見ているのではないだろうか。だとすると、それは僕にとっての思い込みと偏見の世界である。あるいは何か普遍的で永遠な何かを感じているのだ。 |