「さまよう感覚」

〜1、空想。


自己と他者の区別のない世界、区別がはじまる以前の世界。意識以前の、自分と他者が区別される前の「感覚」だけの世界である。もしかすると、それは自分の意識とは別の世界なのかも知れない。

はじめ何らかの感覚の「感じ」があって――痛いとか、熱いとか、心地よいとか、浮足立つとか、怖いとか、気持ちよいとか――、そのあとに、その理由となった「出来事」が作り出される。出来事の理由などは、ホントはどうでもよいのである。大事なことは、感覚がなにかを「感じた」その理由なのであって、しかし、そんなことを感覚が知るわけもなく、ただなんでもよいから、その理由さえ与えられればそれでよいのである。

その理由がホントがどうかは、感覚自体にとってはもともと預かり知らぬことであり、なんら関係もなく、別の世界の出来事であり、それは感覚にとってどうでもよいことであり、また、感覚が確かめることも出来ない世界なのである。要は、ホントかどうかはどうでもよいのであって、大事なことはもっともらしい「理由」さえ説明できればそれでよく、またそれで十分なのである。

だから、先に何かしらの感覚の「感じ」があって、そのあとに、その出来事が無理やり無意識の感覚の世界で作り出される。まるで現実の世界の出来事のように。しかし、すべてが自分の頭の中だけの気まぐれと、思いのままの空想に過ぎないのである。空想ににしかなれず、空想にしかなり得ない、そうした自分だけの閉じた感覚の世界なのである。

目次へ             つづく。