「さまよう感覚」
〜4、分身。
すべてがウソ八百で、行き当たりばったりのデッチ上げだけで作り上げられる。そもそも現実との間に何の接点もなく、それが何かを知る由もなく、このような現実から切断された感覚だけの感覚というのは、その原因や理由や出来事のつながりや因果関係そのものが不要な世界なのである。このような感覚の空想を制限するのは何もなく、要は、感覚が感覚だけで何かを感じているのであって、この閉じた自己完結の世界の中にあっては、自分の空想を制限するものは何もないからである。 現実の他者というのが存在しない自分だけの空想の世界。だから正確な意味では自分というのも存在しない。こうした世界では自分と他者は同じものであって、自分と他人それぞれが、お互いに相手の中へ入ったり出たり、そして行ったり来たりしている。自分が相手になっていたり、相手がまた自分になっていたり、そのように入れ替わり移動するのが当たり前の通常の状態になっている。 しかし実は、自分も他人もそして世界全体が、どれもこれもなにもかもがすべて自分の中の世界だったのである。自分しかいない世界なのである。だから外から見ると、相手も自分も本人もすべての登場人物が同一の「自分」でしかなかったのである。すべての登場人物が同じの自分自身によって演じられているのである。この世界の中での役者はただ一人、「自分」しかいないのでる。この世界の中では誰が出てきても、どれだけたくさんの人物が登場してきても、それらはすべて自分自身の分身でしかなかったのである。 |