「女の象徴」
〜1、執着。
はたして、女性の顔に僕は何を惹(ひ)かれて見ているのだろう。確かに絵を描くときなどは、モデルはたいてい女で、男はあまり見かけない。いったい何が僕をしてこんなにも狂わせ惹きつけるのだろう?「女」の根性が美しいからか?それはないだろう。女も男と同じ人間なのだ。ただお互いよく知らないか、あるいは自分の都合に合わせて誤解しているだけだ。 それは、女の顔に何かがあるように見えるからであり、、そしてまた、僕がそれを感じ、またそれを求めているからである。そしてたいてい女の外面(そとづら)と心の中は全然別のものである。女の顔と根性は別の人格なのである。 それは僕の願望や思い込み、一人よがりな空想に過ぎないのである。にもかかわらず、そうまでも女の顔が、あるいは、そのすがたやカタチが美しく感じられるというのは、それが僕の現実にはない、はてしなく永遠で貴いものをそこに感じるからであって、そしてそれを印象し連想しているからである。あるいは女の姿がそれを暗示しているからだ。まるで何かのシルエットやマボロシのように。あるいはまた、僕のなかで気づかないまま眠っていた何かを呼びさまずのかも知れない。 僕は女のすがたに、見える現実とは別のものを見ている。それは象徴と思い込みの世界であって、そうした空想の世界にしかないものが女の中にあるように思えて来るのである。そしてそれは、男としての僕には無いものなのである。無いからこそ、あこがれもするし求めたり願ったりもするのである。きっと僕はそのように出来ているし、また、そのように生まれて来たのだ。それへと求め、いざなわれ、導かれて行くように。あらかじめそのようにプログラムされていたのだ。 |