「自律性」

〜1、感覚。


人間にはバランスというものがあって、それは実際に目に見えるカタチとしての物のバランスもあれば、目で見ることの出来ない心のバランスもある。そしてまた、そのどちらでもない、感覚の感じ方としてのバランスもある。それもいま、現実にある感じ方としてだけでなく、「感じ方」として移りゆく心の時間的な変化の流れとしてのバランスなのである。様々な感覚のリズムやサイクルのバランスされたアンサンブルとして、移ろい変化する無限の繰り返しの、時間の流れとしてただよい、さ迷い続けているのである。

感覚というのが、それを包んでいる環境の時間的な変化に合わせて、それ固有の変化のパターンを示すのである。リズムや旋律と言ってもよい。それは感覚の変化のあり様なのであって、このリズム自体が感覚の感じ方そのものなのである。

情緒や気分といったものがそれで、それは自分の意思でもどうにもならない、持って生まれてきた先天的な「気性」、あるいは、すでにある自分自身の現実のすがたなのであって、そして自分が生きている、この現実の世界に深く根差したものなのである。

それは、自分が自分であることの証明であり、自己の自律性であり、自己の内的必然性や理由そのものなのである。すべてはそこから始まり、そこから生まれ、そこから形成されてきたのである。そことは外的要因としての自然環境であり、そしてまた自分の意識とは別のところで機能している、内的要因としての感覚の特性そのものなのである。

そして、こうした感覚の特性といったものがさらに進んで、なにかのイメージとして、そして論理のつながりとして意識され表現されたのが、それぞれにとっての特有の民族宗教、ないし、より原始的で漠然とした自分たちが信じるものの世界、といったものではないだろうか。それは、人間が自分を意識し、自覚し、自分自身を表現したカタチなのである。精神が現実の世界という自然環境の中から、この自然環境を通して自分のすがたをカタチとして現わしたのである。

             つづく。