「自律性」
〜4、理由。
バランスとは、全体としての一体性とその統合性であって、そしてそれらすべてが自(みずか)らの下にあるという自己の同一性である。そしてそれは他の言い方をすれば、自分がその中で生きてきた自然環境としての風土であり、そしてその中で際限なく繰り返され、保存され継続し、そして固まってカタチとなって様式となったもの、そうした自己の原理や必然性といったものである。まさにそうしたことが、自己の自律性や内的必然性としてあるのであって、自己の存在理由ともなっているのである。 それは意識されることのない感覚の世界であって、意識とは別の、意識の届かない世界である。自分でもどうにもならず、自分を追いたて、規制し、方向づけている、自分の中にあって、自分でもどうにもならない世界なのである。 自分というのが、この世に持って生れ出てきたもの、先天的なもの、そして、意識とは別のところでそれと気づくことなく身に着けてきた感覚の世界、情緒や感受性、気質の世界なのである。それは際限なく繰り返され続けた、感覚の条件反射の世界であって、それがいつしか自分のリズムとなり情緒となっているのである。本能とか衝動といったものがこれであって、自分でもどうにもならない先天的な生まれつきのものと感じられるのは、そのためである。 そして、そうしたことが人間を支配していて、自己の「自律性」となっていると思えてくるのである。そうした自分自身の感性や理由といったもの、つまり、自分にとって何よりも大切なことが、現在の日本においてもっとも忘れられ、そして破壊されているように思えるのである。 |