17目次へ < 古代半獣半人像。
〜2 本能。
直感というのが、ナゾとして、直感として、そのまま表現される。それは、衝動や衝撃としての「感覚」である。そしてまた、コトバや、何らかの考えにまで達することのない、「感覚」である。感覚に対する精神の、直接の盲目的表現である。 だとすると、それは無機物では表現できない。それは、恐ろしさや楽しさは表現できても、心の中のわだかまりや、ゆれ動く感情は表現できないのである。心の中までは表現できないのである。 だからそれは、生き物の姿に求めるしかなかったのである。人間の、それも自分自身の心のナゾを、動物の表情やその姿に託したのである。だから、顔は人間で、身体は獣の姿(すがた)として表現されたのである。それ以外に無かったように思えるのである。 直感の盲目性、直感の直感とは、むしろ本能的で生理的・生物的なのであって、感情以前の衝動とか衝撃といったものである。だから、それは無機物で表現し得ないし、そうかといって、心の中にある、何かしらの情緒や感情でもないし、まして理性でもない。だからまた、人間の姿や表情でもってしても表現しにくいのである。 だからそれは、それ以前の、より直感的で直接的な表現、すなわち、何か得体の知れない動物のすがた、そして、より正確には、現実に無いもの。動物でも人間でもない、なにかしら得体の知れない半人半獣像(スフィンクス)として表現されたのではないだろうか。それは、それ以外に表現の仕方がなく、また、他のイメージでは表現しえなかったのではないだろうか。 人間の中にある何かしらの根源的なものを探し当てようとするとき、 何か人間的でないものに、それを見ようとしたのではないだろうか。 現実に生きている自分たちを否定したところに、それを見ようとしたのではないだろうか。 戻る。 17目次へ |