17目次へ < 17-0210 衝動、
〜5、感覚(センス)。
人間が生きてきた経験や記憶といったものは、象徴や符号や何かの暗示として、無意識のうちに、コトバにならない何かの印象として残ってゆくのである。人間が生きてきた歴史や自然環境といったものが、何かしらの衝動やキッカケの印象として堆積されてゆく。コトバや思考以前の何かしら言い知れぬ予感や暗示として、無意識の記憶の中から浮かび上がってきて、そしてよみがえるのである。 あるいは、秩序正しくわかりやすい、バランスされ調和された、人間にとって優しく親しみやすい「感じ」として。あるいは、とらえどころがなく混沌としていて、それどこか、たまには自分に敵対するような得体の知れない嫌悪な感じとして。人間にとっての怖さや恐ろしさ、わずらわしさとして。それは、コトバや思考以前の感覚の記憶なのであって、何か言い知れぬ優しい感じとか、危ういとか、怖(こわ)いとか、心地よいとか、忌まわしいとか、そうした感情以前の感覚の世界、情緒の世界なのである。 あるいはまた、現実世界の風景のカタチや色、それに模様、音やニオイといったものもそうである。そうした感じ方、気持ちとか気分とか空気の雰囲気とか、あるいは、ハッキリした理由もわからないまま感じる、気持ちよいとか、めまいがするとか、気分が悪くなるといったことがそうである。感情や意識以前の肉体が、それ自身で何かを感じて思いだしているのである。ハッキリとそれとわかる理由もないのに、自分の肉体がその生理作用だけで、自分の意識を無視して何かを感じているのである。 つまりそれが、そこで生きてきた人間の習性なのであり、そこで生きる人間の特質となっているのである。そしてそれを基にして、感情や習俗や作法の良し悪しが生成され、そしてさらに、自分が無意識の内に「信じるもの」となっているところの、社会の人間関係やシキタリや習慣や道徳といったものが形成されてきたのではないだろうか。またそれが、文明というシステムの根底にあったのではないだろうか。自分たちが「信じるもの」とは、つまり、何らかの宗教ないし信仰のことである。あるいは同じことだが、自分たちの祖先の魂(たましい)といってもよいものである。 戻る。 17目次へ |