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〜3、原理。
そして、それを成り立たせるものは何か?自分が何かであろうとする衝動であり、そしてそれ以前に、その前提として、自分が現実に生きてゆくための闘争である。 そしてこの闘争は、実際には、以前のそれとは全く異なる分野、領域でもって、異なる手段と方法、そしてキッカケと理由を下にたたかわれる。つまり、いままでになかった、未知の異質な精神と理由、そしてそれに見合う原理として、現実に現れてくる。
それ以外に、生きてゆく場面というのがないのである。そこにしか、生きてゆく現実の舞台というのが残されていないのである。さし迫っている。理由以前に肉体は生きて行かなかければならないのである。そこにしか、道は残されていなかったのである。
現実のなかに、何か異質な新しいものが現れてくるのである。それは必然性であって、古いシステムと対立してくる。そして、この対立を許さなかったのが東アジアであり、そのもっとも顕著な表現が、現在の北朝鮮なのである。そしてこの対立を許すどころか、この対立そのものを原理としたのが、ヨーロッパなのである。それを「自己意識」として、自己を確立したのである。
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