< 「未知の記憶」

〜7、成り立ち。


それは、自分自身というものの成り立ちの仕組みや、生存の仕方や歴史、そしてその下で生きて来た、かつての自分たちの自然環境ををみているのである。もちろん、それは現実にはない、符号や象徴や意味不明の印象や暗示としてしか、見えて来ないものなのであるが・・・。

だからまた、そうした「生理の感覚」、ないし「肉体の記憶」といったものが、いまの現実を生きる私たちの感覚に合わないということも当然おこるのであって、それが何かしらの得体の知れない、わけのわからない感覚として感じられてもくるのである。その理由とか根拠の不明なままの未知の感覚として思えてくるのである。

しかし、それは自分自身の根源に深く結びついているのであって、それは自分自身の現実となったすがたを見ているのである。自分自身の「肉体の記憶」を通して、現実を生きる自分自身の存在の仕方をみているのである。種としての歴史の結果としての自分自身を知ることになる。 

      戻る。              お終い(目次へ)。