< 見えないもの、


〜6、「ゾンビ」


空間がズレて引き裂かれる。まるで、踏みにじられ押しつぶされるように。そして、その裂け目から何かが見えてくる。僕はいったい、何を見ているのだろう?わかっている。僕は知っている。白状しなければならない。それは、「見てはならないもの」なのである。

自分にとって不都合なもの。自分の存在を脅かすもの。自分を否定するもの。まるで、自分で自分の首を絞めるようなものであることを、僕は知っている。だから見てはならない。見えなくしなければならない。見えていても無視して、何もなかったように通り過ぎて行かなけばならない。そして、記憶から消さなければならないし、忘れ続けなければならない。そうすることによってのみ、僕の存在が維持され、保障され、その意味と居場所が与えられるのである。

与えられる? そうだ。その通りだ。自分というのが、他人から与えられているのである。だから正直に告白すると、こうした自分自身というのは、まったくの偽善なのである。デッチ上げである。ウソと見てくれだけで、中身がカラッポの、まやかしと迷信だけで成り立っている、偽りの存在なのである。

だからまた、そうしたウソの自分を見つめ続ける、もう一人の自分が自分の中にいて、――それは、ずっと締め殺し続け、生き埋めにし続けてきた、いまとなっては、もはやほとんどゾンビのような状態の、もう一人の自分なのであるが――、それが、何かのキッカケでよみがえってきて、まるで夢かマボロシのように、現れては消えてゆくのである。

 
  戻る。               続く。