< 見えないもの、


〜5、「未知」


それは、きっと非常に大事なことだから、心の奥底で引っかかり続け、じっとしていられなくなって、仕方なく吐き出されたのである。だから、それがいったい何なのか、自分でもわからないのである。だからまた、精神は、その反映の仕方を知らないのである。未知のものを、いったい、どう表現できるのだろう。自分でも知らないものを、感覚は、表現のしようがないのである。

なんの現実の裏付けもないまま、ただ心の印象として、情緒のあり方として、相手なき感情の苦しみや、心の苦悩として、それが表現されたのである。何かのイメージとして。そして、こうした心の動きや苦悩、あるいは願いや祈りといったものは、やはり人間のすがた、人間の顔の表情といったものが、もっともそれに相応(ふさわ)しい。イヤ、むしろ、人間のすがた以外に、それを表現することは不可能である。

だからそれは、僕自身の心の中の風景である。それも、情緒のあり方としてのそれである。僕は、自分で自分の心のなかを、のぞき込んでいたのである。それは、忌(い)まわしく、呪(のろ)わしいことなのかも知れない。でもしかし、仕方のないことである。僕は、そうやって自分を知る以外になかったのである。

 
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