< 春カスミの世界。


〜4、「舞台」


こうした春の日差し、光といったものは、
春カスミの、空気の白さと密接に関係している。
白さとは、光が大気の潤い、つまり、
空気中の不飽和水蒸気に反射しているのである。

冬の終わりの「春」といっても、いまだ大気は肌寒く、
そこへ、南からの湿った気団が地表面と空全体を覆う。
そして、照射角度と、日照時間の増加した太陽の光が、
地表面を照らしている。太陽の直射光に照らされた
地表面の暖かさと、それに不釣り合いな大気の冷たさが、
地表から常時、水蒸気を発生させて、それが春カスミ特有の
空気の白さとなって、見えているのである。

それはキリのような局地的なものではなくて、空と地上全体、
世界全体を覆うカスミ(弱いキリ)の世界なのである。
だから市街地では春カスミはほとんど見られない。
郊外の山とか川辺、野原でよく見られる。
近くの景色でもカスミで白っぽく見えて、
それが遠くの景色では、白い背景のなかで、
現れては消えて、かすんでゆく。

春カスミは地表に水のあるところ、川辺とか、
植物が多い山々とか、湿地帯で強く現れる。
キリと違うのは、広範囲で地上と空全体、
見える世界全体を覆い尽くし、またそれが、
昼近くまで長く続くという点である。

そしてそれは、生命の現われ出る場面、
その舞台といったものでもある。生命はそうやって、
自らを保存し、継続し、そして伝えて来たのである。
そうするしかなかったし、そうなる以外になかったのである。
それはある意味で必然だったのである。
まるで、試験管の中で生命が培養されるように。
それが地球という舞台の上で、ずっと、
半永久的に繰り返されたのである。

戻る。              続く。