< 続:「春カスミの世界」


〜4、素直(すなお)。


いまだ、内面と外面がキッチリと分離されていないのである。
内面と外面の間にある情緒といったものが、いまだハッキリと
安定することが出来ずに、それが白いカスミの中で、
まるでマボロシ(幻)のように現れては消えてゆく、
遠くの景色の情景として映し出され、表現されるのである。

だからこそまた、よく見えるのである。
何の偏見も前提もなく、ありのままに、よく見えるのである。
ストレートで、直感的で、本能的なのである。
理屈無しで、自分の肉体が感じるままに見えて来るのである。
それは、内面と外面がいまだハッキリと区別されずにいて、
自然というのが、ありのままに、自分自身に問いかけ、
感じられても来るからである。見える現実の世界を素通りして、
直接、心の中に迫ってくる。

そうして自然は、そのすべてを開いて映し出している。
自らの姿をありのままに、何のかざりもなく、
なんら身がまえもせずに、素肌のままで。
自分のすべてを露(あら)わに映し出している。

そして人間は、そうした自然というのを、
そしてまた、自分自身というのを、
素直に受け入れるしかないのである。自分に正直になれるし、
素直なままで生きて行ける世界なのである。また、
そうでないと何も見えて来ず、何もできないまま過ぎて行き、
終わるしかない世界なのである。自分に素直であればあるほど、
自然は人間にそのすべてを開いて見せてくれる、
そうした世界なのである。

そしてそれはまた、それを見る者の心の中の風景、
印象と象徴の世界でもある。意識されることのない
無意識の世界の中で、何かを予感し、求め、
いざない、さ迷っているのである。そうした、
情緒の世界を人間は生きているのである。

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