< 指向性
〜3、「理由」
しかし、指向する? いったい何を・・・。 原理、あるいはシステムである以上、それ自体が指向性、ないし、 得意分野、特殊な領域といったものがあって当然であり、 そしてまたそれは、そうやって条件づけられている。それは、言わば、 本能のようなものである。肉体と感覚と考え方のシステムが持つ、 構造的な方向性といったものである。本人の力ではどうにもならない、 自分自身の成り立ち、仕組みといったものである。 先天的な自己の存在理由、自己の同一性といったものである。 自己の内的原理が持つ、必然的な方向性である。 自分自身が持つ機能と役割といったものが最適化されてゆく。 あるいは、自らが変化し適応してゆく。生きて行くために。 自己を保存し、継続していくために。これが、 自己というシステムが目指し、指向するするところの、 方向性といったものである。 それは、あらかじめ肉体という、自分ではどうにもならない 物理的条件のうちに、すでに与えられているものであり、 条件づけられ、定められ、規制され、方向づけられている。 それは存在の型とかパターン、様式といったもので、 自分が自分である限り、変えようのないものである。 なぜならそれは、自己の存在の原理、自己が自己であり続ける、 内的必然性から導きだされるものだからである。 そして、常に何かを求め、追い立てられながらも、導かれ、 予感し、自分にとっての新たな現実を作り出している。 そうやって自分をたしかめ、生みだし、継続しているのである。 自己が同一であり続けているのである。そうやって、 自分が自分であり続けるのである。他者と区別される、 自己同一であり続ける主体たり得るのである。 そうしたことが、存在の指向性として現れている。 内的に自律した必然性や原理として方向づけられている。それは、 時間的にも継続して行く自己の同一性なのである。 自分というのは、自分自身の姿カタチだけでなく、その時間的な 変化の仕方のなかにも存在している。現実から離れた、 精神の領域にも、自分自身は存在するのである。 自己の自律性とは、そのことなのである。 |