< 指向性


〜2、「求め」


マブしさのなかでは、輪郭も、色も、明暗(コントラスト)も消える。
ただマブしいのである。なにも見えなくなるのである。
何もないから見えなくなるのではなくて、反対に、
何もあり過ぎて見えなくなるのである。見え過ぎて、
見えなくなるのである。それは、見えるという、
人間の感覚を超えた世界なのである。

闇の中の暗い色は、目の感覚が何も感じないから、
なにも見えないのである。シロ色は目の感覚が活発になり過ぎて、
その限界を超えるために、何も見えなくなるのである。まったく、
反対なのである。表と裏、上昇と沈潜、開示と引きこもり、
光と影。シロ色は活動であり、上昇であり、そして自分というのが、
外の世界へ出ているのである。

自分が外の世界と接触するところに、
色とか明るさの明暗があって、
それを感じることが出来るのである。
もしも、感覚というのが自分の中に閉じて、
こもっていると、何も感じないし、それどころか、
何かを感じているのかどうかすらも、わからないし、
確かめようがないのである。自分の目が開いているのか、
閉じているのかも、自分ではわからないのである。

だから、シロ色というのは自分が外に出ていて、
そして、外に対して開いているのである。
精神は何かに向かって、何かを求めて、
自分の中にある何かを振り切って、
導かれ、あるいは追い立てられて、出ているのである。

自らの原理と必然性に迫られて、上昇しているのである。
何かを求めて、開き、そしてそれが何であるかを確かめ、
握りしめ、見つめようとしているのである。めざめて、
なにかを予感し、求め、導かれ、指向しているのである。
生きて活動し、自己の現実へ、外の世界へ出ているのである。
開いて、押し出され、浮き上がって、昇って行くのである。

戻る。               続く。