< 指向性
〜1、「白色(しろいろ)」
空気が世界を支配している。 春はシロいろ、。夏は黄いろ、秋は灰いろ、冬は青である。 空気の色とは、つまり、光と水の色である。 光の白色、シロい光の色というのは、 すべての色の光がかき合され、バランスした、そうした色である (加色法;明清色)。だから、白さを強調して明るさを強く してゆくと、まぶしくなって来て何も見えなくなる。 まぶしさというのは、なぜか白さと直結しているように 思えてくる。 いつわりも、かざりも、境界も、バリケードもなく、 ありのままの自分というのを、素直に受け入れている。 風景とは、自己の内面に映し出された印象の世界、 情緒と象徴の世界なのである。外の世界が、 自己の内部で反射して映し出した、 自分自身の内面の世界なのである。 それは、眩(まぶ)しさの光源といったものが、 たいてい太陽であって、太陽の光の色が白いからである。 シロ色とは、すべての色を含む色なのである。もちろん、 朝夕の太陽は黄か赤であるが、それはマブしくないのである。 マブしいのは、やはり、シロ色なのである。ホントはシロより黄色が マブしいのであるが、強い黄色の光源はほとんどないので、 やはり、シロ色がマブしいのである。太陽のマブしさの色は、 やはり、シロ色なのである。 すべての色を含むのがシロ色で、 それよりも明るくマブしいのが黄色なのであるが、 反対に暗いのが、青色である。そして、それを含み、 それ以外のすべての色をも含み、混合し平均化したのが シロ色なのである。そして、このシロ色が、光源のとしての 太陽の色なのである。 |