< 春


〜2、「情緒」


それは誕生と復活、そして自己の発見と再生の場面なのである。そして、それを象徴し、その中で自らが生きている瞬間なのである。それは、驚きであり、ためらいであり、そして予感である。それは、象徴であり、祈りであり、願いなのである。それは、日本列島の自然と風土、その豊かな水と日光、そして、四季がもたらす心の風景なのである。それを、春カスミの薄ら白い空気の中で、私たちは見ているのである。

だからこの、うす白い空気のカスミは、自分自身の情緒の世界であり、自分が生まれる前から宿命として背負わされている、感性とか感受性の傾向そのものなのである。それは意識されざる自分自身の感覚の世界、数千数万年にも渡って蓄積され、定着し、カタチ作られて来た、自分自身の肉体の記憶なのである。何かを感じる以前に、肉体自身が持っている、肉体そのものの記憶なのである。

肉体の機能や仕組み、そのものの記憶なのである。肉体そのものの、生理作用や神経作用の様式(パターン)なのである。そうしたことが、白いカスミの印象として、肉体の記憶の中に何らかの痕跡として残っているのである。

だから、意識されることもないし、あるいは、何かを特に感じるといったこともないのであるが、それ以前に情緒とか雰囲気として、自分自身の無意識の世界を包み、逆らえない下地として入り込んで来ているのである。このような意識せざる情緒といったものは、風土的・歴史的なものと言えるし、そしてまた、無意識の内にそこに暮らす人々を支配し、突き動かし追い立てて、特徴づけているのである。

そうした世界を例えるなら、私たちは、私たちを包む「空気」のような情緒の世界を生きている。精神は、ふわふわヒラヒラただよいながら、情緒の世界をさ迷っているのである。そしてまた、この情緒の世界を離れたところに、精神は成り立ち得ないのである。

戻る。             続く。