< 象徴の世界
〜4、「肉体の記憶」
人間には、その生き方・感じ方とは別に、自分でも意識せざる「指向性」といったものがあって、それは外の自然環境と人間の内面世界のちょうど境界線上、それらの中間地帯にあって、人間の生き方・感じ方というのを支配し続けている。それが、意識されることのない情緒や肉体自身が持つ感じ方といったものなのである。 それはもはや意識とか思考の届かない、それとは離れたところにある、感覚だけの世界なのである。それはむしろ、自分の肉体がその構造や機能というカタチで保存し続けてきた、生物的な記憶、いわば、肉体の記憶、本能とでもいったものである。 だからまた、そうした意識されることのない、正体不明の何かが、それとはまったく関係のないところで、何の脈絡も無しに、いきなり現れては消えて行くのである。それは自分でも訳がわからず、コントロールも出来ない自分でもどうにもならない衝動なのである。 まるで何かの幻(マボロシ)や陽炎(カゲロウ)のように。ふっと、その中から何が見えてくるのである。空間が歪み、ちぎれて、きしんだ地肌のところから、時間と空間の引き裂かれた、無限の裂け目から、一瞬、何かが見えたと思えてくるのである。あるいは、たゆとう空気の歪みや、遠のく意識のカスミのなかで、それが何かの軋(キシ)みや、叫び、祈りとして聞こえてくるのである。 |