<1u  自意識


〜6、「本人」


だが、このように極端に考える必要はない。要は、肉体の
暴力に頼らなくて済む、他のもっと強力な強制力であれば、
それでよいのである。もっとも重要な目的とするところは、
自分のことを、自分で生きなくて済むようになれば、それで
よいのであり、言い換えれば、「自分は、他人様によって
生かされている」状態である。

自分のすべての責任から逃げて、権利だけをわがものに
出来れば、それでよいのである。自己意識の絶対的閉却、
生き埋め、抹殺である。まさしく、こうしたことが現在日本の
状況であって、こうした中からでは、けっして何も解決されない。
解決すべき「本人」そのものがいないのだから、仕方がないのである。

自己意識が無いというのは、いまだ個人が成立せず、
人格を持たないということである。法律は形式上は
完備されているが、その内容と実体といったものが
ぼんやりしている。個人の内面的な心情や確信から
出発したものでは無いからである。だから、形式的で
外面的な、まやかしの飾りから抜け出ることが無いのである。
その実体であり、主体でもある「本人」が、いないのだから
仕方がないのである。


戻る。             続く。