<1u  自意識


〜1、「栄養素」


コメ、麦、トウモロコシなどは栄養のバランスが良くて、それだけで身体の栄養のバランスをよく賄うことが出来る。つまり、それにしがみついてさえいれば、自分は安全・安心・確実なのである。つまり、ここで、この土地にしがみつくということが、不可欠の生存のための条件、習性、ならわしとなってくる。これが中世東アジア社会の根本にある。変化のないこと、歴史的にも地理的にも「変化がない」ということが、こうした社会が永続してゆく条件なのである。

儒教的なものの考え方、上下関係、社会秩序、そして道徳といったものはまさしくこのような生存のためのシステム、すなわちコメの生産のシステムがその基盤となっている。これが社会の秩序の根源であり、土壌となっている。あるいは日本人の「原風景」などとも言っている。血縁の尊属崇拝、長子相続制、身分に基づく社会秩序の、上下関係による絶対化・固定化などがそれである。

コメに限らず農業一般について言えるのは、変わらないこと、変化のないことがこのシステムの存続の条件となっている。そしてこれを社会的・人間的側面から見ると、まさしく儒教であり、インドのカースト制度であり、そしてまた、中世の農奴制なのである。人格や人権、プライバシーの無い世界である。

だから中国では(ごく最近までそうなのであるが)、歴史上で権力を志向するものは常に、中国(中華)の中心地へと向かい続けるのであって、周りの辺境には全く興味がない。辺境、つまり西の山脈、北の砂漠、南と東の海の向こうは、中国人にとってはどうでもよい世界であり続けたのである。そもそも外の世界との交易など大した意味がなかったのである。何もしなくても、誰もが自分たち中華の中心地へと向かってくるのである。自分たちは何もせずにただじっと待っていさえすれば良かったのである。


戻る。             続く。