<1u  自意識


~2、「個性」


ここで再び話が「稲作(コメ)」に戻るが、コメ以外にもやはり肉、野菜なども必要であるが、それはその都度適当に賄えばよいのである。北の砂漠の遊牧民(肉)、南の海の漁労民(魚)、山地の畑からの野菜、そして西方の諸山脈を越えてやってくる西洋からの貴重な文物との「交易」というのが欠かせないのである。

しかしそれでも、ここで暮らす人々にとっては、やはり米(コメ)が中心であって、コメがあればこそすべてのそうしたことが成り立ち得るのである。あくまでもコメが中心であって、コメが基本であり、コメがあればこその話なのである。このコメを基に周りの遊牧や漁労や畑作などが集まって来て、交易し、そしてそこで暮らす人々の生活が継続されてゆくのである。暮らしというのが成り立ち、社会のシステムというのが子々孫々伝えられ、引き継がれ、「文明」というのが時間的にも継続されるのである 

しかし、それだけではない。コメの生産は稲作であって、労働力の季節的・地域的な投入が不可欠である。農作業というのが、繁忙期の一時的でごく短期の過密な集中を必要とするのである。つまり、人間が密集して居住して、そして組織的で計画的なのである。そうやって暮らしが営まれ、続けられて来たのである。つまり、集団的なのであって、個人的な行動や個性といったものを許さないのである。


戻る。             続く。