< 社会のカタチ。
〜5、「キズナ(絆)」
義務だけあって、権利のない共同体。 それは個人としての権利・義務が存在せず、 意識もされない社会である。キズナというのが、 自分の外から強制力としてやって来るので、 個人が、個人として自覚されることがない。 これが初期の古代共同体である。そしてまた、 それが東アジア社会の特徴でもある。 現在でもそうである。 このような権威ないし暴力の強制によって、 共同体社会が維持され、継続されるのであるが、 このような強制力が何らかの事情でなくなったら、 キズナ(絆)はいったいどうなるのだろうか? 個人は自立へと向かう以外にないのだろうか(ヨーロッパ)。 それとも、無政府の野蛮のままで、 そこから抜け出るということがないのだろうか(アジア)。 この違い、この分岐点はいったいどこから来るのだろうか? やはり、風土なのだろうか。 あるいはまた、それは、ヨーロッパを特徴づける民族移動、 移民としての特質なのだろうか。 何も無い、ゼロから始めるしかなった植民(移民)者たちの 精神の特質から来るものなのだろうか。 |