「春カスミ」


〜6、オキテ(掟)。


それは、だれかが何かを意図して、何か目的をもって意識的に
なされたものではない。それは、ただ偶然の主観の連続が
そうさせたのであり、他方、それを外から客観的に見た場合、
そうなるしかない、まったくの必然だったと思えても来るし、
また、理解もされるのである。それは、それ以外にあり得ないし、
それにしかなれない、必然と見えるのである。

なぜなら、自己同一であり続ける主体の変化といったもの、
その主体の内的必然性に基づく原理といったものは、
その主体の中にしか無いからである。そして、この場合の
主体とは、つまり、日本列島であり、そこで暮らす民族であり、
風土だからである。風土とは、言い換えれば、自分が生きている
現実であり、このなかにこそ、内的必然性の絶対の原理、
つまり、オキテが存在するのである。


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