「良心」
〜1、隷従。
盲目的隷従というのは、自分というのを他人に求めるものであって、肉体を離れた自己の精神が、他者の精神の下に、他者に取り憑いて生きて行こうとするものである。精神が、現実に背を向けていて、自分とは離れた所で空想上の自として存在している。だからまた、自分の肉体や精神がもたらす、痛みや苦しみも、悩みもないシアワセな状態である。 それは迷信であって、非現実の世界に自分の現実を見ようとしているのである。心のどこかで、それがウソとわかっているからこそ、奇跡というのである。そしてまた、こうしたウソにしがみつく以外に、現実の中で生きて行く方法がないのである。だれにとっても現実は苦しく、観念だけの空想の世界は自分にとって優しい世界なのである。まして、自分の精神といったものを放棄していれば、なおさらである。 それは反転し、逆転し、さかさまになった世界である。自分と外の現実世界との間に、合理性や法則性、そして何か理解の出来る必然性や原理といったものを見い出すことが出来ずに、そのままで現実とかかわっている。だから何もかもが 逆転し、さかさまになって理解されるのである。それはちょうど、肉体の視覚器官が外の赤色によって、目の中で青色を生成する(補色の)ように。そうやって、自己と現実をバランスさせ、衝撃を避けているのである。 自分と外の世界との間に境界線を作り出し、未知の自然と自分とを区別し、そうやって自分を確かめているのであるこのような逆転し、反転した精神の世界。だからこそ中身がカラッポで、外に自分の実体を求めることになる。そうせざるを得ないのである。もちろん、そんなものあるわけがない。 |