「良心」
〜2、うつろい。
外の世界と自分を区別してくれるものであれば、どんなものでもよい。ただそれらしい理由さえあれば、それだけでよいのである。ウソでも、ホントでも、まやかしでも、ただの幻(まぼろし)でも、そんなことはどうでもよいことなのである。ただ単に「理由」さえあれば、それでよいのである。 ただそれだけであり、それ以上でも、それ以下であってもならない。悩み苦しみ動揺するから。だから、ただそれだけで自分のすべてが解決し、救われ、助けられるのである。それが自分というものの真実のすがたなのである。それ以上なにも望まないし、かといって、それ以下であっても困るのである。そして、その中身などは、どうでもよいことなのである。 自分らしさ、自分を確かめるというのは、自分で自分のタマシイ(魂)をのぞき込むことではない。周りとの自分、みんなの中にいる自分、みんなの仲間としての自分のことなのである。ただそれだけでシアワセというものだ。 流れにただよい、うつろうありさま、それが自分の真実のすがたというものだ。 |