「良心」


〜3、偽善。


それは、「自然体」とでも言うのだろうか。「自然の流れ」とか「うつろい」といっても、それはやはり偽善でしかないのである。それは、聞こえのよい「偽善」としか言いようがない。偽りの正義である。何もかも周りに合わせているだけで、自分自身を押し殺して偽っているのである。

正義や法律以前に、人間の頭の中がそのように出来ているのである。社会というのが、そのように仕組まれていて、それにシツケられ育まれてきたのである。それがごく自然の当然の生き方として。そのほうがラク(楽)だから。手間いらずで何も考えなくて済むから。そして、まわりりのみんなも喜んでくれるから。だから、それがもっともよい正義とか道徳のように思えてくるのである。しかし、「それは間違っている」。

自分の考えや良心、自分の自己意識を無視して、まわりに合わせているだけではないか。それも流れにしがみついて。「流れ」というのは、要するに一番強そうな偉い人(権威)であって、それに「乗ってただよう」というのは、だれかを引きずりだして、沈めて、その上に乗っかっているのである。それも、知らんふりして。


戻る。             続く。