「観念の世界」
〜5、必然性。
しかし、そうしたことを最終的に決定し運命づけてのが、人間の考え方や意識、自分自身に対する自意識や自己認識などではなくて、(それらは時代とともに変化するのであって)、その民族が生きて、形成されてきた自然環境、すなわち、風土にこそ、根源的な必然性があるように思えてくるのである。イヤ、もっとも根源的な理由といった場合、それしかないのである。 そして、それは自分自身の肉体の中で生き続けているのであって、そしてまた、社会と文化のもの言わぬ習慣や仕草(しぐさ)、感じ方やものの見かたの中に生き続けているのである。そして、それはまた、自分自身の自律性、一体性・連続性そのものなのである。 一体性とは、自己の肉体と精神が、人格という領域でもって他人と区別され、それが自分自身の下に全体として、一体のものとして統合されているのである。連続性とは、歴史的な起源、ルーツであって必然性のことである。自分が、自分であることの同一性のことである。自分は、自分にしかなれないのであって、それから離れると、自分が自分で無くなるのである。 |