「観念の世界」


〜4、変化。


それは当然であって、そしてまた、必要なことでもあって、そうしてのみ、自己が継続し得たのである。自己を保存し、そしてそれを子孫に伝え続けることができたのである。あるいは、言い換えれば、日本人というのが、それにしか成り得なかった事情なのである。そうする以外になく、そうしてのみ、自己を保存し得たのである。

そうでなかったなら、日本人というのが、なにかそれとは別の民族になっていたか、あるいは、民族としては消滅するかの、どちらかしかなかったのである。だからこの場合、変化と移行といったものは相対的なのであって、絶対的な変化とは言えないのである。

また、滅びとか消滅といっても、それは別に特に哀れなことでも不幸でもなく、ただ避けることのできないものなのであって、それはそれでまた、生成の前段階を準備するものなのである。生成はその前の消滅なしにあり得ないのである。そして、そうした繰り返しこそが歴史なのである。それが生きているということの証明なのである。

変化のない、生成も消滅もない世界というのは、時間が止まったような世界であって、時間的にも空間的にも閉じた世界であって、変化のない自意識の曖昧(あいまい)でぼんやりした世界である。個人というのが自分の心の中を省みる場面のない世界なのである。このような社会を外からながめて見ると、生きているのか死んでいるのか、それとも眠ったままでいるだけなのか、まるで識別できないような社会である。


戻る。             続く。