「目の中の世界」


〜3、空想だけ。


無意識の夢の中といっても、夢には何らかのストーリー(物語)のようなものがあって、その限りで、自分の意識が働いているとも言える。しかしそれは、現実の裏付けのない、現実から切断された空想だけの世界である。

だからまた、現実には絶対に起こらないことが、平気で何のためらいもなく起こる。自分が他人になっていたり、肉体から精神が分離して夢の中を、あちらこちらへと渡り歩いて乗り移ったりもしている。肉体と精神、主体と客体、自己と他者と、そうした言わば、自分と他人の区別の存在しない世界なのである。(そうした意味では、時間の概念のない、非歴史的な、歴史以前の世界と言える)。

しかしまた、そうした非現実的な意味で、人間は夢の中でも何かを意識しているのかも知れないのである。そしてまさにそうした状態こそが、目の中の世界、閉ざされた自己の精神の世界なのである。「閉じている」のは、マブタが閉じているだけではない。それよりむしろ、精神が閉じているのである。現実とのいかなる接点も持たない、分離・切断された世界なのである。

だから精神は何にでもなるし、なれるし、現実とは全く別の異常な世界をさ迷い続けるし、そしてその中で、自分が唯一の意思として存在しているのである。現実ではなく、また、自分以外の他人というのが存在しない世界。自分だけの、自分しかいない、無限で永遠の、何もない、何にもなり得ない世界である。


戻る。             続く。