「目の中の世界」


〜2、ぼんやり。


だから、マブタの中で光をうすぼんやりと感じている、と思えて来なければならないのである。だから、意識があるときは、たとえ目を閉じていても、何かが見えるか感じるかしていなければならず、そうかといって、それが何かの形(カタチ)とか、それが何かを特定できる輪郭として見えて来てはならないのである。

だから、目を閉じていても意識がある限り、人間には常に何かが見えるし、そして同時にまた、それが何であるかが分(わ)かるものであってはならないのである。それが明るさの明暗として感じられるだけで、何も形(カタチ)としてとらえられないのである。形(カタチ)として見えてはならないのである。

見えているというのが確かめられるだけで、ではいったい、何を見ているのかというのが、わかってはならない世界なのである。こうしたことが、覚めて、意識があるときに自分の目の中で見る世界である。閉じたマブタの中の「見えるもの」である。

では、そうでない場合。つまり、目を閉じて眠っている状態。無意識の夢の世界では、いったい何を見ているのだろうか。そしてそれは、どのようにして、何も見えない状態から見えるものへと、見えてくるのだろうか。意識されることのない自己の精神のなかで、映像、もしくはイメージはどのように生成されるのだろうか。


戻る。             続く。