存在の理由。


〜4、「閉じた世界」


だとすれば、それはまさに夢の中と同じである。閉じた一人ぼっちの、一人称の、主観性の世界である。閉じた内向きの世界の中で、精神が遊びを繰り返しているのである。

そこには本当の意味での苦しみや喜びはない。なぜなら、自分だけの世界だからである。自分以外の、「相手」の存在しない世界だからである。そうした世界では本当の、絶対的な意味での滅びも生成も存在しないのである。だから、苦しむとか、喜ぶといっても、それはただ単に、観念だけの非現実的な世界なのである。

そうやって、同じことが永久にくり返され続けるのである。外からの衝撃によって何かが目ざめない限り。19世紀の西洋文明との衝突がそうであった。それは稲作と家父長制、そしてそこからくる特有の情緒に深く根ざしている。そして、それがまた、彼らの自己認識の実体となっていたのである。

戻る。              続く。