存在の理由。


〜3、「必然性」


アジアでは、同じことのくり返しとして文明が始まり、滅び、そしてまた始まっている。そこには本質的な意味での変化は何もない。歴史は、この同じことのくり返しとして永久に何も変わらずに移ってゆく。そしてまた、それが「良し」とされた。それが自分たちの存在理由、アイデンティティーとされたのである。

文明と社会というのが、同一の原理と同一の前提と条件、そしてその必然性の下で存在し続けたのである。他の言い方をすれば、このような条件の下では、それにしかなり得なかった、ということである。

そうしてのみ、自己を保存し続けることが出来たということである。それ以外のものになることが不可能だった、ということである。現実の条件と環境はそれしか許さなかった、ということである。他の方法や可能性が無かった、ということである。

要するに、存在し続けたというよりも、存在するしか無かった、ということである。それ以外の現実というのが、あり得なかったということである。だからまた、結果だけを見ると、それだけが残っているのである。当事者の意思や願い、意図とは関係なく、そうなのである。

戻る。              続く。