存在の理由。
〜2、「魂(たましい)」
それは稲作という生存の様式と、そこから来る実際の生活の中に根を張った、もの言わぬ情緒的感覚そのものである。情緒や肉体の生理、人間が生きて見て感じて暮らす生き方や、感じ方のパターンであり、なくてはならない情緒のリズムなのである。東アジアの人間が自分を意識し自覚する、自己認識と自意識のカタチなのである。 しかしこの場合、人格の破壊といっても、東アジアには、もともと人格の概念がないので正確に言うと、西洋から侵入してきた人格や個人という概念に、激しい憤りと拒絶反応を示したということである。それは、自分たちが先祖伝来守って来た生存の様式をないがしろにして破壊する、災(わざわ)いのタネでしかなかったのである。 自分たちの祖先の魂(たましい)と、自分自身のアイデンティティーを辱(はずか)めるものでしかなかったのである。しかしまた、そうやって初めてアジアは、自分たちの本当の姿を西洋というカガミ(鏡)の中に見たのである。例えば、得体の知れない未知の、わずらわしくて面倒なだけの、自由や人権、そしてまた「個人」という概念をである。 |