「自分自身」


〜2、発見。


理性とは原理であり法則であり秩序である。人間が外の自然の中に、自分と同じ理性を発見する。というよりも、発見するしかなかった。発見してしまった。それは、もともと同じ思考の働きから来ていることなのである。

自分を発見したのである。自己を発掘し、そのなかで、自分を再発見し、再生し、そしてなにかが誕生し復活したのである。新たに何かが始まり、自分がそれまでとは別のものになっているのに気づき、そしてまた、それまでの自分から切断されていて、それまでの自分をどこかで捨ててしまっているのである。自分が、それまでの自分とは違う「何か」になっていたのである。そしてその「何か」を基にして生きているのである。そうして、自分というのを自分自身の中に発見したのである。

人間が生きて行くためには、自分の外の自然に働きかける以外になく、それが経験され、記憶され、意識される。そして意識の中で、合理性の下に抽象化される。それは規則性とか、抽象化された共通性などとして理解される。そうやって自然が理解され、そしてまた、これを基にして自然とのかかわり方が定められ、方向づけられてゆく。

自然を利用して生きるというのは、自然を利用する人間の蓄積された経験と記憶をもとにしているのである。それが、「同じ」という意味なのである。そうやって人間は、自然の中に、自分の中にあるものと「同じ」もの、すなわち理性を見ているのである。合理性といったものがそれである。合理性とは、道理にかなっているという意味である。

つまり、合理性によって理解できるものという意味で、自分も自然もまた同じだということである。自分の心の中に見ている同じものを、外の自然の中に見ているのである。そうやって、自分と、その外の世界を理解し、確かめているのである。

戻る。              続く。