「続、紅白」


~4、普遍。


「白色」、それは色というよりも、純粋な光の明るさなのである。だからまた、個性なき普遍的なもの、永遠で限りないものを感じてしまうのである。そしてまた、「赤色」でもって何かの強烈な戒律が示されるとすれば、その背景色、その対称となる色はこの「白色」以外にないのである。この赤と白のとのでもって、その世界のすべてが象徴されるのである。

「白色(シロイロ)」は、すべての色を含んでいて、または、すべての色が消えていて、そして、誰に対しても開いていて、普遍で限りない永遠の輝きみたいなものを感じさせる。シロ色というのは、すべての色の源(みなもと)であって、そしてまた、すべての色を含みことによって、シロ色は「色」では無くなっている。純粋の、明るくまぶしいだけの、輝(かがや)きといった色である。シロ色には「色」という個性が無いのである。

といっても、「水色」のような自由な永遠さではない。そのような具体的な感じ方そのものが消えて失われている。そうした永遠さ、非現実的で、なにもない、すべてが周りに溶けて行って、同化して、消えて、失われてしまったような、そうした、どこかあの世の世界のような色である。非現実的な色、白色(シロイロ)という、「色」の向こう側にある「色」。色そのものが消えて、その向こうの、それとは別の、明るさだけの世界のように思えてくるのである。

まぶしさの向こう側にある、目という感覚の超えた、向こう側の世界のように思えてくるのである。目の中でめまいがしてきて、色とカタチが消えて、まばゆさだけの光の中の世界のように思えてくるのである。

このシロ色が、黄色という「色」を非常に薄くではあるが、含むことによって、何か異常なものに見えてくる。まぶしさの向こう側に、何か異常なものを感じてしまうのである。眩(まぶ)しさの中にあってはならないものを見てしまうのである。何か果てしない、異常で偏執的な狂気のようなものを感じてしまうのである。

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