「形式的考え方」


〜7、迷信。


民族、宗教、国家体制、法律、文化芸術といったものは、人間の理性的な意思が、それまでの習慣やシキタリとしてあったものを明文化し、法律やシステムとして確定し、定着させ、固定させたものである。だから、それら形式化されたシステム、つまり法律や、制度、社会秩序といったものは、とてもわかりやすいのである。明文化されているし、常識として目に見えるカタチで、現実に示されているからである。

だがしかし、これらの常識の意味、根源といったものは誰も気にしないのである。どうでもよいこととして、気にとめないのである。なぜかというと、大事なことは今の現在を生きている自分のことなのであって、だとすると、現在ある常識を生きて行くしかないのであって、その意味を知る必要など全然ないからである。むしろ知らない方がよいのである。

そこでもっとも便利な道具として「形式的思考」が出てくるのである。だれにもわかりやすく、納得のしやすい考え方、もっともシンプルで軽薄、内容が不明のままで中身がカラッポの、表面的なカタチだけでだれもが認めてくれるのである。だれもがカラッポなのである。システム自体が、そうした形式的な考え方の上に、それを根拠として成り立っているのである。これは一種の宗教である。

もどる。              つづく。