「うつる」


〜2、うつろ。


だから、よりストレートにいうと、実際のところ、見てはならないもの、知っても、気づいてもならないもの、仮にそれに気づいても、知らぬ顔をして、無視して通り過ぎて行かなければならないもの、なのである。オキテ、イマシメ、サダメ、運命などといったものは、見ても、知っても、気づいても、そしてまた問うてもならないものなのである。

それは、いつでもどこでも自分をとりまいて、つつんで支配している空気のようなもので、それを問うても、意識してもならないものなのである。それは自分の根源にあって、自分そのものであって、自分のすべてはそこから出てきていて、そこから導かれているのである。

知ってはならないというのは、このことなのである。だから知る必要も、気づくことも、そしてまた問われることもないのである。イヤ、むしろ反対に、気づいても問うてもならないことなのである。だから現実は、生きているとは、はかない幻(マボロシ)の連続のようなものであって、人間は、移ろいゆく時の流れのなかを、ただ流されて漂っているのに過ぎないのである。

「うつろい」とは、見るもの聞くもの触れるもの、そうした生きた現実というものが、様々にすがたカタチを変えて行く、そうした例えるならば、映画館のスクリーンのようなもので、中身はカラッポなのに、それがホロスコープ(万華鏡)の世界のように、千変万化して、変化をくり返しているのである。

そうした、無限で永遠にすがたが変わっていく、閉じた世界である。そしてその中身は、その奥にあるものは、その向こう側にあるものは何も変わらないのである。もともと何も無いのだから。鬱(うつろ)、空ろ、虚ろとは、このことなのである。

もどる。              つづく。