「自意識」
〜6、舞台。
上に述べた日本列島の自然環境といったものは、そこで暮らす民族のくらしのあり方やその様式の具体的な枠を定めたものであり、その仕様と型式のパターンと方向を決定づけるものでもある。そしてまた、それは社会と文化の内的必然性の条件ともなっているものである。 それは、目に見える暮らしの型、生活のカタチとして現れるだけでなく、意識のカタチ、情緒や気質を通しても現れている。つまり、自然環境といったものが、人間のくらしや意識といったものを条件づけ、規制し、方向づけているのである。だからこそまた、それが生きた現実であると言えるのである。 それは、その上で生き暮らす日本人の舞台となっている場所なのである。日本人が生きそして暮らす、その生まれ出る情景であり、背景であり、地肌であり、生地となっているものなのである。言い換えると、それが前提となっている現実の条件なのである。 そしてまた、そこから規定されてくる社会の枠組みでもあり、あらかじめ定められ制約された方向性なのである。これはいわば、定められセットされた舞台の上なのであって、日本人というのがこの舞台の上でしか生きて行けないように出来ているのである。 そのようにしてしか生きて行けず、そのようにしてのみ生きて行けたのである。それしか知らず、それだけを知っていれば何とか生きて行けたのである。それで十分であり、それ以外はどうでもよかったのである。それは自分たちが生きて行く方向性であり、またその条件を定めたものだったのである。それが日本列島という地理的・歴史的現実なのであり、私たちはこの現実の上でしか生きて行けないのである。 |