「自由」


〜1、丸見え。


いったい、何をもって「精神の自由」などというのだろう?それ以前に精神が丸見えなのである。お互いの心情というのがすぐにわかってしまうのである。また、それが出来ないとこの世界では生きて行けないのである。

理性や言葉以前の感覚や情景の世界である。それに逆らうことも、逃げることもできない、そうした先天的な不可抗力が支配する世界である。それは、その場を支配する空気や雰囲気、情景とでもいったものなのである。個人の内面の世界でさえ、すでに支配され方向づけられているのである。

人々が何かを考えるといった、そうした意識以前のところにある、生理的で情緒的な世界なのである。それどころか、この意識の前提となっていて、それの地肌や生地になっている、そしてまた、この意識を包み支配し規制している生理的な情緒の世界なのである。

「価値観の共有」などといった理性の上での、そういう中途半端でなまやさしい共有の仕方ではなく、感覚や情緒や心情の「感じ方」としてお互いがよく知っている、そういう間柄なのである。たとえ初対面であってもそうなのである。そうしたことがこの日本的文化と、日本的な人間関係特有の著しい特徴となっているのである。

もどる。              つづく。